よった勢いだけで書く
ご存知なかろうが、割と映画ヘビーユーザーでコロナ前では月に2回は映画館へ足を運んでた
そんな俺でも一本の映画を見たあとその日一日の脳内タスクが一本の映画に占められてるなんて作品はない。が、こいつは例外だった
感想自体はは悪くなかった程度のものだが頭からは離れん
なぜだろうと理由を問たところやっぱりリアルタイムで小学校のころから飯を食いながら見てた記憶があるから。それからの蓄積は20数年これに尽きるかなと
実際ちゃんと見たのはスパロボαにハマった中学生の頃に改めてみてみようとなってからだと思う。たしかその時PS2のエヴァ2とかが出てプレイした記憶がある
「さようなら、すべてのエヴァンゲリオン」
というキャッチコピーがあるが、俺はサヨナラできないね
なぜならばまだスパロボに参戦してないからだ。
今まで未完のママ散々参戦してきたが、ことに真希波・マリ・イラストリアスの扱いの悪さに定評があるスパロボ
第三次Z前編に至ってはQ参戦ながら、「私に関わらないで」的なのりでわざわざキャラから存在をスルーするように言ってきおった。さすがに後編では不興を買ったのかしゃべるようにはなった
L では「活躍なくて残念でしょ」みたいなメタネタでフェードアウト。参戦が序だけだから仕方ないっちゃ仕方ない
それでも序盤でシンジを早瀬が助けて、物語のクライマックスでシンジが早瀬を助けるという熱い展開をもらえたからエヴァ自体の扱いはよし
今回やっと真希波の目的がはっきりわかったんだから次に序破Qシンをまとめて参戦させるときは扱いが良くなってるでしょう
多分だけど
それでもよくわかんない真希波
漫画版のからの情報だと冬月のゼミに所属していたゲンドウ、ユイの同期ってことだが映画では明言されてない。そこについては映画でも踏襲されてるんだろう
で真希波好きだったユイの息子だからユイの遺志を受けてシンジやヴィレを助けてたってことでいいんだよな?
突然でてきた「イスカリオテのマリア」庵野自ら衒学的と言ってたそれ
イスカリオテのユダと聖母マリアないしはマグダラのマリアから出てきた単語なんだろうがまあわからん
そもそもマグダラのマリアの単語は知ってるがエピソードは覚えてないしググる気もない。そんな俺でもわかるのは誰かを裏切ってどうこうってことぐらいか
次のスパロボで脚本かくひとはちゃんと設定を渡されるから大丈夫なはず
わだいのケンスケとアスカがくっつく問題
主題ではないが注目の話題
あまり違和感は無いが、トウジにヒカリがいなきゃトウジだったかなとは思う
リンダが居なきゃケーンでもよかった
ケーン「へッ、どうしてもこうしてもあるか。前にも言ったろう?こういう時は素直に俺達を頼れってな」
タップ「それに、囚われのお姫様を助けるのは…」
ライト「ああ、我ら三銃士の務めってね」
量産型エヴァにいつもの名乗りを上げるロム兄さんを超えるぐらいにいいシーン
破からQへと14年経ってんだから男子三日会わざれば刮目せよというぐらいだしまあ何が起こっても不思議ではないか
14年の間に肉体関係はあったのかという疑問は湧く
あったとしたらケンスケの優しさに曇りが出るな。優越感とかそのへんの余裕
俺はなかったろうとは思う。アスカがケンスケの存在の大きさに気づけたのはクライマックスでのことでこれから二人の物語は続くんだろうと解釈してる
酔いが冷めてきた終わる